向上りとる的に

日常のなんとなくを少なくする ちょっとした向上心

ブログをはじめるにあたり

はじめまして、向上りとるです。上昇志向があまりなく、怠け気味な私が、毎日少しずつでも日常生活を向上していくことを念頭において、なまけものの私を律する意味で、ブログの名前をつけました。

このブログを始めるにあたって、ギリシア神話に登場するシジフォスが頭に浮かんでいます。人間は死に向かって生きているわけですが、たとえ永遠の生命を得たとしても、シジフォスのように、永遠に意味のない責苦を負うとしたら、生命の意味を感じられないでしょう。何でもいいから少しでも前に進む感覚がなければ、人間は受動的な日常に意義を感じられないでしょう。

 皆さんは無駄な時間と感じるときはどんな過ごし方をしているときですか?

能動的、計画的に目的をもってすることには充実感をかんじますよね。

 

反対に、受動的に過ごす時間、例えばなんとなくみるニュースやドラマ、映画などの時間はそこそこ楽しんでいるのですが、後から「あ~あ、もっと違うことしてればよかった」という思いにかられるときが多々ありますよね。

要は計画的に何か得ようとしている感覚もない時間の過ごし方が無駄な時間を過ごしてしまった感が強いのでしょう。

しかしすべてが計画的、効率的ばかりでは、視野がせまくなるデメリットもあります。

受動的な行動のなかでも、なにか得るという前向きな感覚があればよいのでは?

 一見受動的に過ごしている時間にも思わず新しい発見や知識を得たりすることも多々あります。印象に残っているドラマや映画や本などは、深く考えず、たまたまみたり、手にしたものが多いのも事実です。

受動的な時間をなるべく能動的に過ごすことができたら……

 例えばテレビのなんとなくながら視聴でも、ニュースなどでは、基本的な政治経済知識があれば、得るものは多いし、昨今多い刑事ドラマ、医療ドラマなどでは、刑法、警察組織や基本的な医療用語などがわかっていれば、おもしろさが変わってくるでししょう。このブログでは、日常のなかで、なんとなく感を減らすにはどうしたらよいかを考え、日常の中の曖昧な知識などを取り出し、勉強し直していきたいと思っています。とはいっても私は専門的知識のある学者ではありません。従ってよい本などがあれば、紹介していきたいと思います。脈絡のない雑記ブログになってしまうかも知れませんが、どうかお付き合いください。

 

 

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 ティツィアーノのシジフォス(1549年 プラド美術館)

ギリシア神話のシジフォスの苦行とは?

死の神タナトスを監禁し、その間人間を不死にした罪で、神々から刑罰を受ける。

その刑罰とは、大きな岩を山の頂まで運ぶが、その岩は麓まで落とされる。その岩をまた、頂上まで運び上げる。これを永遠と繰り返す苦行。