向上りとる的に

日常のなんとなくを少なくする ちょっとした向上心

思考のなんとなくをなくすには

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ギリシアの哲学者ソクラテスは自分が知恵をもっているとうぬぼれている人間は、実はちゃんとした知識をもっていると思い込んでいるにすぎず、自分が知らないことについて、それを知っているとは思っていない自覚がある人間の方がましだといっています。無知の知、要するに不知の自覚です。素晴らしい考え方だと思います。

しかしながら私のようななまけ気味人間には

「そうだ俺は、不知の自覚があるぶんだけましなのだ。多少怠惰でもかまうものか」

となんとなく楽な方向に流れていってしまいがち。

無知の知の境地とは向上心をもって知恵の取得に努力したものが、語りえる境地なのだ。私には語る資格はゼロ。

 

なんとなく考えること 思いを巡らすこと それは普段何気なくしています。

たしかにそれで、ハッとするアイデアや悩み事が解決することもあるかもしれませんが、ほとんどは、脈絡なくする考え事で非生産的なことが多くありませんか?

そういった考え事は生活のかなりの時間を占めているので、無駄に過ごしてしまった感も強いのではないでしょうか?

なんとなく考えるを少なくするにはどうすればよいのでしょうか?

積極的に考えるがその答えになるでしょうが、どうすればよいのでしょう?

つたない頭で積極的に考えてみました。

論理的に考えるということです。当たり前すぎるって?

いやいやこれがなかなか難関なのです。

では論理的に考えるとは、どうすれば?

論理的な頭でない頭で考えた解答は、論理的な人の頭の考えた考え方を参考にするしかないということになりました。

具体的には、数学、論理学、哲学をちょっと勉強してみることにより、論理的思考の引き出しを増やし、物事をみるときの眼鏡の度数をふやす。

考えている主体の脳の仕組みを知る。(脳が考えている主体という言い方は哲学的に微妙な感じ)

脳の仕組み?そんなこと勉強したってしょうがない?

脳細胞から始まり、自分が考えていると思っている脳の機能はあなた自身が作り出したものではないでしょう。ならばその脳について知ることは必須では?

また、思考の限界点を勉強することも、なんとなく考えることの対極にあるのでは?

無駄な時間ではないと思う。なぜなら論理的に考えざるおえないから。

例えば、宇宙の果てとは?時間のはじまりとは?先人たちが考えてきたパラドックスはどんなものがあるか知ることも思考の限界点について学べるのでは?

 

 上記のことを普段からちょっと意識していれば、仮にとりとめもなく考えているときでも、ちょっとは思考の質はあがっているのではないか?

いままで偉そうに書いてきたことを自分に言い聞かせ、

ちょっとずつ勉強したことをブログで綴っていきたいと思います。

 

 尚 妄想は時間の無駄ではありません。エンターテインメントです。