向上りとる的に

日常のなんとなくを少なくする ちょっとした向上心

NHK ヒューマニエンス選 ”言葉”それが人の思考を生んだ 感想

 

今回の放送もとても興味深い内容でおもしろかった。だけどなぜかしっくりこない。

7万年前の遺跡から発掘された弓矢の矢尻、その構造は言葉の階層構造と似ている。

たしかにそうだ。言葉は階層構造だ。階層構造だからこそ複雑な思考も可能になる。言葉の階層構造が思考を可能にする。思考を言葉で表現するのではない。動物に過去は存在しない。なぜなら動物には言葉の階層構造はないから。納得といいたいところだが、なぜかひっかかる。それは番組の冒頭での実験。初めて見る絵でとがった感じの絵と、まるっこい絵をそれぞれキキとブーバーどちらの名前をつけるかという実験。言語も異なる世界中ほとんどの人がとがった感じの絵をキキと名付けた。小さな子でもそうだ。

実験からもともと人間には言葉に対する質感というものが備わっていると仮定すれば、階層構造(分節化)という感性も、もともと人間の脳に備わっていたのではないか?と妄想してみる。

どうしようもないなお前は?過去のヒューマニエンスでの過去の放送回でも触れたように脳は進化を経て大きくなってきたと勉強したのでなかったか?そういった進化を経てきた脳にもともとそんなもの備わっているわけないではないか?おっしゃるとおりです。う~ん。正直に言うと、科学的な妄想になっていないのだが、人間の脳の中に存在するものでもなく、言葉とそれに伴う意味の質感は、なぜか人間(脳)の外部に存在するような気がしてならないのだ。人間の外部ってなんだ?うまく説明できないが、文学もどき的に言えば、

言葉は言葉の世界として、意味の世界は意味の世界として人間から独立して存在している。言葉の世界、意味の世界が人間を通して表現されている。何のために?誰のために・・・・・・

 

ちょっと何言っているかわからない?失礼しました。

超有名な聖書のフレーズ はじめに言葉ありき(解釈はいろいろ)が頭の片隅にあるせいかもしれない。

 

ではまた。